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のーてんき娘 その5。

 夕刻。常ならばアップ間近で空気の弛むこの時間、その日のジムを覆っていたのは、うっすらとしたざわめきと、その中心に満ちた緊張感だった。

「――なに、山田さんスパーするの? 相手見覚えないけど、新人?」
「違うよ、ほら。今日来るって言ってた、IWWFの選手」
「そんなこと言ってたっけ?」
「これだもんなぁ……私らの一つ上だって。レイさんたちと大体同期」
「ふぅん。
 ……で、強いの?」
「見りゃわかると思うけど」
 リング上。対角線のコーナーで、トレーニングウェアの上からグローブとレガースをそれぞれ着ける二人を交互に見やりながら、エプロンサイドの佐尾山は口を開いた。
「山田さん、強ぇぞ」
「あ、やっぱり」
 見ればわかった。
 自分と同年代らしい佐尾山の態度からしてもキャリアがあることは察せられたし、細身の身体に纏った筋肉もバランス良く引き締まっている。
 何より、今まさに向かいのコーナーで彼女が固定しているレガースの、使い込まれた「重み」を見れば、理屈以上に感じられる凄みがあった。
 ぶるっ……と。体が、小さく震える。
「ヤマダさん、か。
 ……ホントに、強いんだろうな」
「ンだからそう言ってるだろ」
 神妙に呟くユンを見て、一応、佐尾山は言ってみた。
「何せ急な話だもんな。止めんなら、今のうちだぜ」
 キレた市ヶ谷から逃げ切るよりはよっぽどラクだ、とも言い加える。
 だが、ユンははっきりと首を横に振り、佐尾山に向き直った。
「とんでもない。それより、ヤマダさんの気が変わらないうちに始めないと」
 ロープに手を掛け体を反らし、改めて全身のスジをほぐす。
「新女でもトップクラスだっていうヤマダさんが何で若手の私なんか誘ったのか。理由も聞かずに勢いで受けちゃったスパーだけど……」
「あぁ、やっぱ考えなしかよ」
「け、どっ!
 ……正直、私の評価で格上の人相手にシングルマッチ組んで貰えるとは思ってないしさ。こんなチャンス、無駄にしたらバチが当たるよ」
「仁王様のバチとかな」
「何それ?」
「気にすんな、アタシん中だけの話だ」
 ロープを握るユンの手に、佐尾山はそっと自分の手を添える。
「ま――胸借りるつもりで、頑張ってこいよ」
「……うん、ありがと。
 思いっ切りやるよ! プロモーターにも、頑張れって言われてるしね!」
「またプロモーターか。ビューティ市ヶ谷と山田遙相手取ってダブルヘッダーだぜ。頑張り過ぎだろ」
「あ、そっか。
 ビューティ市ヶ谷ともちゃんと応戦すればよかった」
「おいおい。」

 ――パァン!

 二人の会話の途切れを見計らったかのように。鋭く、透き通った打撃音がジムに響く。
 コーナーマットを打ち据えた山田の脚はフォロースルーも速く美しく、ユンと佐尾山が視線を移した時には、もう既にトントンとマットに小気味良いリズムを刻んでいた。
「うん……まあまあだな。
 こっちは、いつでも」
 振り返った山田の顔に浮かぶ、静かな闘志。
 グッ、とキた。
 昂揚、畏縮、期待、発奮。触発されてユンの中に発生した諸々の感情が混ざりあい――出来上がったココロは、ユンに覚悟の笑顔を与える。
 渡ったばかりの異国の地で、格上相手に突然申し込まれた練習試合。繊細ならざる身としても多少はあった怯みの気持ちも、今やすっかり消え去ったことを自覚して、やはり自分は単純すぎるだろうかとユンは思った。
 佐尾山から借りて羽織っていたジャージを彼女に返すと、気持ちと一緒に体まで軽くなる。
 深呼吸をしようとして、止めた。この気持ちを落ち着かせたくなかった。
 代わりに、大きく吸った息を声にする。
「よろしくお願いします、ヤマダさん!」

 ゴングが鳴った。
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